市販されている磁石で最も強いのはネオジウム磁石です。ただ、製造するには希少価値が高いレアアースを使用する必要があります。そこで、コストが高く、採掘できる量が限られるレアアースを使わない強い磁石が求められているわけです。磁力が強ければ強いほど、磁石の大きさを小さくできるメリットがあります。実現できれば、電気自動車のモーターの小型化も可能です。
代替の材料として着目したのが「窒化鉄」です。窒化鉄は、バルク(塊)状態では強い磁力を持ちます。バルク状態では製造には使えませんので、薄膜にする必要があります。バルクは完全な球体ではなく、ジャガイモのように表面が凸凹で、中に空洞もあります。ですので、薄膜にすると原子レベルに乱れがあり、どのような影響を及ぼすのか調べる必要がありました。その時、以前に研究していた原子一個を観察する技術が生きました。
ハードディスクの磁気ヘッドは薄膜を積層していくわけですが、原子配列の乱れが読み込み速度や磁気特性に影響を与えます。性能の向上と小型化を図るには、原子一個のズレを正さなければならず、ナノレベルの制御が求められます。現在のテクノロジーでは、30ナノメートルの水準で制御可能です。すべての情報が電子化されたり、IoT(モノのインターネット)が進んだりする世界では、もう一段階上のレベルが求められています。
ハードディスクを使っていたら熱くなったという経験はありませんか。磁石は熱に弱いという欠点があります。熱で原子配列が乱れると、磁石の薄膜がくっつく力が弱まり、機械が誤作動する原因になります。小型化が進むと熱の影響が大きくなるため、より磁力の強い磁石が必要なのです。
この施設があるのは、全国でも大型放射光施設SPring-8など数カ所です。その中から分子化学研究所を選んだのには理由があります。一つは共同研究をしている横山利彦教授が「表面薄膜磁性」の第一人者であり、研究に対するコミュニケーションが取りやすいことです。そして、薄膜を生成する装置がUVSORに直結している点です。通常、磁石の薄膜は金や銅で被膜して酸化を防がないと観察できませんが、ここでは大気に触れずにUVSORに試料を移動させられるので、本来の薄膜を観察できます。横山教授のマクロの視点と私のミクロの視点を重ね合わせ、原子一個のミクロな欠陥がマクロのレベルでどのような影響を及ばしているかを考察しました。
超高真空の中で薄膜を生成するのは難しいので、分子科学研究所を訪れて2週間貸し切って実験しています。私のような若手の研究者は研究費が限られていますので、学生の旅費をサポートしてもらえるのも助かります。
薄膜の生成には、加熱することが必要です。均一になっていない薄膜は加熱温度が低く、電子に乱れがあります。さらに、生成する加熱温度が低い薄膜は、磁気特性が理論値よりもかなり低いという結果が得られています。ですので、均一になる適切な温度で薄膜を作ってみたところ、理論値と一致しました。ただし、加熱しすぎると窒素が気化してしまい、窒化鉄の構造を壊してしまいます。そのため、ぎりぎりの温度を見分けることが大切です。マクロの世界では完璧にできていると思っても、実際に磁気特性を測ると非常に悪い数値が出る場合があります。私たちは、原子一個を観察することで、ミクロの世界からマクロの世界をサポートしています。
反強磁性/強磁性超薄膜ヘテロ構造の磁気結合状態を原子レベルで確認する研究を進めています。ハードディスクの磁気ヘッドは、反強磁性/強磁性超薄膜ヘテロ構造から構成されており、安定した性能を発揮するためには、原子レベルでの乱れを確認する必要があったのです。実験では、強磁性の鉄に反強磁性のマンガンを積層し、マンガンは鉄とは逆方向に張りついて混ざっていきます。混ざり合いによって磁気特性はかなり変化します。
これまで合金の磁気特性は悪いと思われてきました。ところが、合金の種類によっては磁気特性を上げることができることが分かったのです。均一に混ざっていく規則合金であることが条件です。鉄マンガンという合金も、ちょうどいい混ざり具合になるマンガンの厚さ見極めることで、飛躍的に磁力を上げることに成功しました。つまり、身の回りの材料でも改善の余地はあるということです。
理論値よりも性能を引き出せていない材料はたくさんあります。組み合わせを考えるのも一つの手段です。また原子配列の乱れは大きな課題です。この課題がクリアできれば、ありふれた材料の磁石の性能を上げることは簡単です。原子の世界から社会に貢献できればと思っています。